鎮座地 福岡県鞍手郡鞍手町中山1588
西鉄赤間営業所から直方行バスで約30分。「中山口」で下車。左手に社号標と一の鳥居が建っている。
御祭神 日本武尊・スサノオノミコト・ミヤズヒメ
※ミヤズヒメ・・・・・日本武尊のお妃の一人。
御由緒
日本武尊が熊襲征伐の折、この地に来た時酋長の田部今朝麿が村民と共に篤くもてなした。帰りに再びこの地に立ち寄った時には仮宮を建て守護したため日本武尊は当地の人情風致を褒めたたえ、この地を中山、植木等と命名してお帰りになった。
第27代安閑天皇の時代に今朝麿の遠孫人麿に、山上に祠を立てミヤズヒメを合祀せよと神託が降り祭祀し標高125mのこの山を剣岳と呼ぶようになった。
本殿は天正元年に炎上したが天正年間に再建されたその後宝永2年に中腹に移され、明和3年に現在地に移された。
筑前国続風土記拾遺巻之三十一に八劔宮として次の記載がある。
『劔岳に在。中山 植木二村の産霊也。所祭日本武尊 スサノオノミコト ミヤズヒメ也。祭礼は九月二十九日田部氏奉祀す。昔の社は山の頂きに在しか。今小祠有。上宮と云。宝永二年半腹に移し、明和三年九月今の地に移す。古は繁栄の社也し由縁起に見へたり。此社に古き棟札とてあれと今とらす』
一の鳥居から500m程3つの鳥居をくぐり歩くと境内に着く。境内入り口には広い駐車場がありトイレも完備されている。
境内は木が青々と茂り、清涼な空気が流れていました。

境内神社「八雷社」
日本武尊が熊襲平定後多くの家臣と共に劔岳からの帰路辻屋敷という所で激しい雷雨にあい林の中で立ち往生した時、日本武尊が雷神に祈るとたちまち鎮まった。元は立ち往生した場所にあったものを新幹線工事のため境内に移された。
由緒によると、『第38代天智天皇7年11月草薙劔を当神社に安置した』とある。天智天皇が即位したのが7年1月であるので、即位後まもなくになぜ筑紫の地に安置されたのか疑問は残るが、ここから1km先の劔岳山頂の上宮を目指す。
剣岳城
言い伝えによると、応仁年間(1467~1468)に梅野土佐がここに築城し、そのため本社は山の中腹に移された。
その後文明年間(1469~1486)宗像氏の下城となり宗像氏の防衛にあたった。
1500年代、秋月氏の支配下におかれたが、戦乱の世となり、度重なる合戦ののち、天正年間(1573~1592)豊臣秀吉が九州を平定したころに落城した。
本社は元亀2年、山上に再建された。