鎮座地 福岡県岡垣町高倉1113
JR鹿児島本線「海老津」駅よりコミニテイバスにて「高倉」下車、徒歩3分。
ひとくちメモ
境内は樹齢700年の綾杉や大楠が空を覆うように葉を繁らせ、樹木のエネルギーをいっぱいもらい毎日無事に生かされていることの幸せを感じることが出来る神社でした。
御祭神 天照皇神・大倉主命・菟夫羅姫(つぶらひめ)
御由緒
境内の御由緒説明板は文字が薄くよく読めなかったのでアクロス福岡文化誌編集委員会編『アクロス福岡文化誌6 福岡県の神社』海鳥社2012年の「高倉神社」を参考にして記します。
『日本書記』によると、九州の熊襲を討伐するため、関門海峡を渡った仲哀天皇らの船が山鹿岬(やまかのさき)を回って岡浦(おかのうら)〔いまの遠賀郡芦屋町の遠賀川河口沖〕に入ろうとして、船が進まなくなった。水先案内を努めていた地元の豪族・熊鰐は「この浦のほとりにおられる大倉主、菟夫羅姫という二神のせいです」と答えたので、仲哀天皇は倭国菟田(やまとのくにうだ)出身の船頭伊賀彦(いがひこ)に命じてお祓いをさせると、たちまち船は進み、一行は無事に岡浦に上陸でしたという。
社伝では、高津峰〔下の古図〕に天降りした大倉主命を祀ったのが始まりという。
大倉主命と菟夫羅媛命は神功皇后の朝鮮出兵を守護し、神功皇后摂政2年5月午の日に勅が下り、高倉の地に社が建てられ、初代神主には伊賀彦が任命されたという。
天文5年(1536)九州探題大内義隆が社殿造営しましたが、永禄2年(1559)に大友宗麟の兵火で社殿は消失し、豊臣秀吉によって社領も没収されて衰退しました。江戸期になって福岡藩主・黒田長政、光之の手厚い保護を受けて社殿の修復が行われ、祭儀も復活した。
鳥居
狛犬
建造物
境内の樹木
綾杉(昭和38年5月4日県指定天然記念物)
社殿右前方にあり。
「社伝によると神功皇后が三韓征伐のときに自ら植えられたといわれています。その際苗木を逆さまに植えられたので逆杉(さかさすぎ)とも呼ばれ神木として崇められてきました。昭和45年に原因不明の大火により幹の空洞部分が黒焦げになったといわれています。樹高10、7m、胸高周囲5、7m、樹齢700年(推定)」 平成15年3月 岡垣町教育委員会。
高倉神社は、遠賀総社といわれる由緒深い神社であるが境内には五本のクスノキの老大樹があり、その規模は次のとおりである。
胸高周囲 根回り 枝はり東 西 南 北 (単位;m)
一号木 7.0 20.7 17.0 17.5 24.3 8.3
二号木 10.9 26.4 23.2 19.8 12.4 11.4
三号木 6.9 12.5 15.0 12.7 12.7 13.4
四号木 8.2 10.2 9.4 12.8 16.8 14.0
五号木 7.3 25.2 7.9 11.9 18.0 9.0
福岡県教育庁編集 『福岡県の名称・天然記念物』
境内神社
銅製毘沙門天立像(福岡県指定文化財)
神社の南側、歩いて5分程の所に「高倉宮」と書いた鳥居が有り、3個の石組のみがある場所がありました。古図に書かれている高津峰の直ぐ左下の「屯宮所」跡であろうか?。確認することが出来なかった。