鎮座地 福岡県宗像市深田字木戸ノ内384
JR鹿児島本線(『東郷駅』下車。西鉄バス『神湊波止場』行、「宗像大社前」下車、徒歩5分
鎮座地「深田」について、『筑前國続風土記拾遺巻之37』牟田尻村の項に次のように記載されています。「上下二村あり。民居は本村上下日南、田畑に在。上牟田尻を昔は深田村と云り。和名抄に出たる深田郷は則此邊数村を云るなるべし。往古の此村あたりは江海なりしか、漸浅で田を墾開て村落をなせり。依て深田又牟田尻等の名あり」
境内は広くはありませんが綺麗に掃除され気持ちよい神社です。
御祭神
稚産霊命(わくむすびのみこと)・・・・・記紀神話の穀物の神
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)‥イザナギ・イザナミの御子で五穀、食物の神
保食神(うけもちのかみ)・・・・・・・・・保食神の死体から粟、稗、稲、麦、大豆、小豆、牛、 馬、蚕が化生したと云われる。
住吉三神・・・・・・底筒男命、中筒男命、上筒男命
水分神(みくまりのかみ)・・・・・・水源守護の神、保育の神
水波売神(みずはのめのかみ)・・・・・川(灌漑用水)の神
御由緒
宗像大社発行「神郡宗像第6号」葦木神社より
当大社西方、深田の地に鎮まり、境内には徳満神社、須賀神社が祀られています。建立年は判然とはしませんが、その名が後堀河院の「寛喜の綸旨」にもみえることから、西暦1200年代には存在したと考えられます。また境内には石棺があり、朝廷より太刀が収められたという話も伝わっています。大正4年、丹後神社、神崎神社、雨守神社を合祀し、毎年10月上旬に宮座際が齋行されております。
福岡県神社誌
「宗像末社記に葦木明神11月14日祭之と有り、今は9月15日~18日に祭祀す。当社鎮座の由縁正平年中宗像大宮司氏郷の年中行事記及後堀河院の寛喜の綸旨にも見ゆ亦該社鎮座の南に石棺埋あり朝廷より太刀を納められたる由云傳ふれば往古宗像三柱大神當村へ降臨の際よりの鎮座なるか詳ならず。
境内坪数 648坪。 氏子区域及戸數 深田区54戸」
筑前國續風土記拾遺巻之三十七
村の南木戸内と云所に在。産神也。所際稚産霊命 倉稲魂命 保食神いつれも石躰也。宗像末社75社の一也。同社年中行事記に、葦木明神11月14日祭之と有。今は2月18日8月18日9月18日に祀る。村民の説に文明元年正月に宗像大宮司氏佐初て勧請有しよし云傳ふれとも、正平23年6月大宮司氏郷の年中行事記に、此社を載たれは村民の説は信すべからす。(途中省略)。社内に徳満社有。大己貴命を祀(以下省略)。
境内神社
徳満神社
御祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)
日本書紀の呼び名で古事記では大国主命。
宗像大社発行「神郡宗像第6号」葦木神社より
境内の鎮まる徳満神社は、農耕の神、特に牛馬の神として崇敬が篤く、かっての例祭日のは、宗像内外から多くの参拝者が訪れ、油単・黄色の鉢巻等で飾り立てられた牛馬の参拝姿もあり大変盛大なものであったそうです。現在も本殿前には牛の石像が数体あり、拝殿には牛馬の絵馬が数多く飾られ往時を偲ばせてくれます。
往時は相撲大会も賑やかに行われ、遠く鞍手、遠賀方面からの若者達も多く参加する、旧宗像郡内でも広く知られる神社だったそうです。