鎮座地 福岡市博多区奈良屋町1ー17
神屋宋湛屋敷跡
御祭神 豊臣秀吉
御由緒(境内案内板)
国内外の交易により莫大な富を築いた神屋宋湛(1553ー1655)は織豊時代に活躍した代表的な博多商人としてその名を知られています。
特に豊臣秀吉から厚遇された宋湛は天正15年(1587)の博多復興に際して、この地に広大な屋敷地と所得免除の特権をあたえられました。
宋湛はその恩に報いるために邸内に秀吉の霊を祭りました。これを基に明治19年(1886)博多復興 三百年を記念して現在の豊国神社が整備されました。
神屋宋湛は天正10年(1587)の大阪城茶会で豊臣秀吉から「筑紫の坊主」と呼ばれた。千利休とも会席する茶人であった。
神屋宋湛の墓は妙楽寺にある。
太閤の町割(西日本新聞社編、各駅停車全国歴史散歩福岡県より)
戦国末期の戦乱で博多の町は徹底的に焼き払われたが、天正15年(1587)神屋宋湛らの願いを入れ、豊臣秀吉が復興を命じた。石田三成らが奉行となり、焦土の中に古井戸を探して町割をした。太閤の町割と呼んでいる。それは十町四方の町を袈裟に見立て七流れ七堂七番七小路七口七厨子七観音を配して七七、四十九の願を表した。仏教思想による七づくしの都市計画で当時としては最先端の土木事業であったろう。