鎮座地 福岡市城南区樋井川3ー43ー17
御祭神 安徳天皇(御子大神)
安産と子供の守り神
御由緒
御子神社がこの地に建立された年代ははっきりしませんが、明治5年11月3日に上長尾村社に定められ、古きより安産の神、子供の守り神として近郷の崇敬が篤い神社であります。
当御子神社に古くからの言い伝えや筑前國続風土記拾遺によると、安徳天皇がある年の大晦日に太宰府から糸島郡吉井に還御されたさい(安徳天皇御蹟論にも見られます)、白馬の乗ってこの地を通り過ぎようとされましたが、誤ってシメ縄に引っ掛かり井戸に落ちたと伝えられます。
この古い言い伝えにより、昔から上長尾地区では、白馬は飼わない、井戸は掘ってはならないと言い伝えられています。また、御子神社境内には末社の祇園社、豊作の祈願、収穫の感謝を行う社日社を祭ってあります。
筑前國続風土記拾遺巻之45
御子大明神社
鬼ノ木に在。産神也。安徳天皇を祭ると云う。村老伝ふるは一年除夜に安徳天皇白馬に騎し此地を過給いしか、惣に井戸に堕ちて阻し給ふ。是より今に至りて村内井を穿らす・また白馬を養はす。もし犯せば火災有と云。

鳥居の額束。「御子宮」と刻まれている。神社境内説明書によると『神社称号は大神宮、神宮、宮、大社、神社、社があります。宮は神社よりも重んぜられる。宮を分類すると1.天皇を神霊慰籍の為、奉祀したもの。2.皇族を奉祀したもの。3.特別の由緒により古来より称呼に係わるもの、又は特に宣下ありしもの。御子神社は安徳天皇を奉祀してありますので、以前は「御子宮」と呼ばれていたと思われます、(文責 磯山嘉郎)』とある。
境内神社
境内