鎮座地 福岡市南区塩原(しおばる)4ー11ー1
西鉄大牟田線「大橋駅」東口より徒歩5分。
「塩原」の由来 筑前國続風土記拾遺 巻十二
「むかし 此辺まで入海来りし。故にいまも塩原、塩煮塚等の名あり」
御祭神
イザナギノミコト・クナドノカミ・ヤチマタヒコノカミ・ヤチマタヒメノカミ
- クナドノカミ 日本書紀に登場する神。クナドとは「来てはならぬ所」の意味で、黄泉の國の雷神の追跡を遮るため、イザナギノミコトが投げた杖から化生したという。道祖神の原型とされる。
- ヤチマタヒコノカミ 猿田彦命
- ヤチマタヒメノカミ 天宇受売命(アメノウズメノミコト)猿田彦と夫婦。
(出典:日本の神様読み解き辞典 柏書房)
御由緒
(神社発行パンフレット 略記より) 熊野神社は古より塩原の射場「塩原中央」にイザナギノミコトを祭祀せられ、道祖神社は塩原イトリサヤ「塩原四丁目芸工大前」にクナドノカミ、ヤチマタヒコノカミ、ヤチマタヒメノカミを奉斎しておりましたが、昭和12年両社が合祀せられ現在の熊野道祖神社となったのであります。(途中省略) 道祖神社の神域は、昼尚暗き樹木に覆われ周囲は水田地帯でありましたが、昭和2年4月7日、福岡県立筑紫中学校が道祖神社の境内を含む塩原に開校せられ、同校建設の際、社地の樹木を漫りに伐り怱ち病等其他不慮の災害に罹った者が多く、斯る御神威に鑑み強いて移轉せしむる事は神罰の恐れ少なからずとして遂に此儘据置かれる事となったのであります。(以下省略)
福岡市区画整理事業に伴い道路が境内を横断することとなり、昭和53年より神殿の新築移転等の工事を行い昭和59年に完了した。このため整理事業前は神社裏側が神社正面となった。
重要な拝殿全景の写真撮影は忘れていました。
※狛犬の無いのが残念でした。
御神木
神社略記によると「(前略)明治21年の大暴風雨の際、倒れたる神木が一夜の間に自ら起き直り今尚森々として繁茂し榎の大木が自然の造形そのままに四季折々の変化を遂げ、参拝者の心を慰め鬱蒼たりし千古の杜も依然として尊厳を保持せられて居るのであります。
道祖神社(現在は熊野道祖神社の境内末社)
道祖神は厄災の侵入防止や子孫繁栄等を祈願する村の守り神。主に村の境や中心に祀られる民間信仰の神。
茅輪(別名 輪越)
参拝当日、7月14、15日の夏季大祭に向けて茅輪の新設作業が行われていましたので、終了後一番に潜らせていただきました。 茅輪の由来(神社説明板より) 腕にかけたり、腰につけたり又は神社の鳥居等にかけ、これを潜りて祓うためのものである。神代の昔スサノヲノミコトが民業開発のため諸国を巡歴したまえるとき、貧しき蘇民将来の家で一夜の暖かい待遇を受けられたことを嘉(よし)み給うて、年を経て再び蘇民将来の家を訪ね給ひ、もし天下に悪疫が流行せば、チガヤを以て輪を作り腰上にかけ、蘇民将来子孫門とかいた札を門に掛ければ、かならず一切の悪疫を免れしめやうと教え給うたと云われ、此の故事によって茅輪は始まったという。 お祓いする人は三度潜る。最初は輪を潜って左へまわって外に出て、次は輪を潜って右にまわって今一度外に出て、又輪を潜って再び左へまわる。