鎮座地 福岡県筑紫野市原田2550
JR鹿児島本線「原田(はるだ)駅」下車徒歩10分
駅から神社へ向かう途中には〔長崎街道〕原田宿跡があります。
原田宿跡は原田宿[長崎街道]-お寺めぐりの友をご覧下さい。
境内には清らかな空気が漂っていました。
御祭神
・筑紫の神【つくしのかみ】 (五十猛命・白日別神)
※五十猛命(いそたけるのみこと)・・・スサノオノミコト(八岐大蛇退治で有名な日本神話のスーパーヒーロー、祇園様といわれる)の子で、天上からもってきた木種を日本全土に播き、我国の樹木が繁茂する環境をつくったといわれる。
※白日別神・・・五十猛命の別名とされる。
・玉依姫命(神武天皇の生母、竈門神社より勧請)
御神徳 縁結び・子孫繁栄
・坂上田村磨(征夷大将軍)
御神徳 必勝
社伝によると、祭神を筑紫の神といい、筑紫の国魂である。
古くは10世紀はじめに記された、「延喜式」に名神大社として登場します。
「筑後国風土記」によると、『筑後の国は、もと筑前の国とあわせて一つの国なりき。昔この国の間に険しくて狭い坂がありそこに荒猛神が棲み、往きかう人を多く殺した。それでその神は人の命尽(イノチツクス)の神と呼ばれた。後にこの神を祀って筑紫の神と呼ぶようになった。
「古事記」では、九州全体を筑紫の国とゆうが、この地方を筑紫と呼ぶようになったのは、筑紫神社の神号から起こったと伝えられる。
亨徳2年(1453)に拝殿が造営されたが天正14年(1586)兵火で焼失。寛文2年(1662)再建されたが、延宝8年(1680)火災で焼失したが再建された。現在の本殿は正徳2年(1712)に再建、拝殿・社務所は昭和9年(1934)に造営された。
年中行事
1月1・2・3日 歳旦祭
3月15日 粥占祭(筑紫野市無形民俗文化財)
7月19日 およど(夏祭)・夏越の祓
10月20日 秋季大祭
粥占祭は筑紫神社に古くから伝わる伝統神事で、2月15日に炊いた粥を文化2年に造られた鉢に盛って神前に納め、3月15日に粥面のカビの生え具合や色でその年の作物の豊凶や風水害、伝染病の発生などを判断をするもの。
鳥 居
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絵馬堂と絵馬(一部)

石碑『遥か古代、筑前・筑後を合わせて「筑紫の国」と名付け、九州を「筑紫の島」とさえ称した。ああ、かくも大いなる筑紫、ここはその発祥地であり、中心地である。ここ筑紫のまほろばに鎮まる産土の神は、われわれの遠い祖先の喜びであり、われわれの誇りであり、われわれの子孫が受け継ぐべき聖地である』 安西 均
境内神社
五所神社 稲荷神社
原田宿の街並みに設置されている説明板