鎮座地 福岡市博多区下呉服町1-28(蔵本町交差点スグ・浜口公園向側)
ご祭神 伊藤小左衛門の息子・小四郎、萬之助
ご由緒(境内の説明書き)
萬四郎神社は三百年の昔から現在の社地に祀られる実業人の神様、子供達も神様で、祭神はその頃、大阪では鴻池、博多では伊藤と並び称せられ、殊に幕府の許しを得て伊藤小判を発行した程の大富豪伊藤小左衛門並びにその一家一門であります。
二代目の小左衛門が寛文七年(1667)黒田藩の忌諱に触れ(国禁の貿易を咎められたと謂はれる)突如として長崎に於いて捕縛され、次いで博多では妻子嬰孩一家六人をはじめ番頭手代及び博多町内の親族とその妻子ら、平戸、長崎、対州等にある親族(いずれも大富豪)など一斉につらえられ忽ちにして磔刑または斬罪に処せられました。
その刑が余り惨たらしいので之を祀ろうとする人があっても刑死の人を祭るわけにもいかず、然し五歳の三男小四郎や三歳の四男萬之助などあまりに不憫だといふので、二児の名を一つに合わせ、萬四郎さまと唱えて祀ったのであります。初めは地主大明神とあがめられたが要するに伊藤神社であります。
伊藤小左衛門の初代、二代は大船あまた持ち自ら操って支那の各港や南洋各地に交通し盛んに交易して彼の地の文化を移入し、また内地にあっては大いに採鉱冶金の業に励んで国富の増進に勉めたものであります。
昭和三十二年七月吉日
ご神徳 ・商売繁盛 ・子供の健やかな成長
大変狭い境内ですが、地域の博多商人と蜜着した神社です。