宇賀神社
(旧称一本木神社、黒田稲荷)
鎮座地 福岡市中央区大宮2-2-2
西鉄バス「一本木」バス停 すぐ
バス通りに立つ五の鳥居
ここから両側に住宅やマンションが
立ち並ぶ参道を100メートル以上歩く
と神社がある。
ご祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
※日本書記では倉稲魂命はイザナギ命と
イザナミ命が大八島(おおやしま)をつくって
飢えを感じてウカノミタマ神を生んだとある。
ご由緒(神社説明板)
この地は藩政時代は那珂郡平尾村の一本木と呼ばれた
所である。一本木の地名の由来は貝原益軒(1610~1714)
の「筑前国続風土記」によると、この地に大きなたぶの木(イヌ
グス)があった事によるとされている。
※貝原益軒 元禄の頃生きた朱子学の儒者。
福岡藩医の生まれで、藩内の
地方史、産業を調べた「筑前国
続風土記」は貴重な歴史資料と
される。
本神社の起源は明らかでないが、当初は田圃の中の小さな
祠であったと思われる。
福岡藩6代藩主黒田継高公の時代(享保17年~18年、
1732~1733)に藩内は大飢饉で損耗高およそ40万石、餓死
者7万人、牛馬4千頭が死滅したという。世に「享保の大飢饉」と
云う。
この大飢饉後、藩政の立直しが一段落ついた頃の宝暦10
年(1760)藩主継高公が「風雨順時」「五穀豊穣」を祈る気持ち
から、自分の産神である江戸の橋本稲荷にあやかって、新たに
神殿、拝殿を造営し「本社蔵棟札」それ以降、直参・代参を欠かさ
ず続けたといわれる。江戸時代は一本木の稲荷として衆庶の信
仰を集めていたようである。
拝殿
稲荷は五穀を司る神で祭神の倉稲魂命(宇迦之御魂神」)は
農耕神である。なお本社の鳥居は、往時福岡と佐賀・長崎を結ぶ
街道を往来する旅人にとっての道標でもあった。
継高公建立百年祭を迎えた安政5年(1859)寄付を募ったと
ころ、那珂、席田69カ村、福岡市中29カ町209名がこれに応じた。
明治6年に書かれた拝殿の扁額
拝殿の扁額「宇賀神社」は明治6年のもので、明治初年に
一本木神社から宇賀神社に改称されたようである。
三の鳥居 三の鳥居の額束
注連縄柱
一の鳥居から正面を見る
狛狐 狛狐
拝殿内部・提灯には黒田家の紋章が入っている
拝殿天井に飾られた午の像
拝殿内の絵馬
拝殿の外壁には25年度の神事が貼ってありました。
初午祭 2月 9日
夏越祭 7月31日
針供養祭 12月 8日
また、毎月1日と15日には野菜が奉納されるそうです。