日本三大八幡
筥崎宮
鎮座地 福岡市東区箱崎1丁目22番1号
JR鹿児島本線箱崎駅徒歩三分
地下鉄箱崎宮前駅徒歩二分
社号標 (東郷平八郎書)
御祭神 応神天皇(第15代天皇・八幡大神)
神宮皇后( 応神天皇の母)
玉依姫命(神武天皇の母・海(水)の神)
ご由緒
神功皇后の伝説に包まれている筥崎宮は宇佐神宮
(大分県)石清水八幡宮(京都府)と共に三大八幡宮に
数えられている。
神功皇后伝説
御神木「筥松」
神功皇后が応神天皇を出産した時
胞衣(えな=胎盤など)を箱に入れ
ここに埋め、そのしるしに植えた松。
幾度か代替わりして受け継がれている。
千早振る神代に植えし箱崎の
松は久しき志るしなりけり
古図
室町古図 福岡県名所図録図絵
創建の時期は諸説あり断定は出来ないが、『八幡愚
童訓』によると延喜21年(921)、醍醐天皇は神勅に
より「敵国降伏」の宸筆を下賜され、ここに社殿を建立
し、延長元年(923)に飯塚市の大分(だいぶ)八幡宮
より遷座したとある。
楼門の扁額
小早川隆景が謹写拡大した。
縦 2.38m
横 1.46m
遷座の理由は大宰府の官人が参拝するのに不便で、
また放生は 海で行なうもので山間では不適当という神託
が下った ためとされているが、その 背景には、海外から
の脅威に八幡神の威力を借りよう としたと云えられている。
豪快で威風な社殿は、海を向き大陸をにらんでおり、
参道はまっすぐに玄海灘へ向かっている。
元寇の時は、敵国降伏の祈りが行なわれた。
社殿は風害や戦災に度々あい、文永11年(1274)には
元軍 の襲来でも戦火に罹った.。
蒙古碇石
亀山上皇尊像奉安殿 亀山上皇立像
(福岡県指定文化財) 福岡市東公園にある”亀山
上皇銅像”の原型となった木彫像。
博多出身の彫刻家、山崎朝雲作。
高さ約六メートル、重さ約一トン。
永承6年(1051)には石清水八幡宮の別宮として、その支配
をうけた。十一世紀の博多は対外貿易の要地となり、当宮の周
辺は宋人などの交易従事者の居留地であった。
また神仏習合思想に基づき社人と社僧が置かれ、明治
の神仏分離まで境内には両者が混在する独特の景観が
形成されていた。
一之鳥居(国指定重要文化財)
慶長14年(1609)福岡城主黒田長政の建立。
鳥居の柱は三段に切れ、笠木島木は一つの
石材で造られ、先端が反り上がり、貫と笠木
の長さが同じで、「筥崎鳥居」と呼ばれる。
御神徳 厄除・勝運
楼門 (国指定重要文化財)
文禄3年(1594)筑前名島領主小早川
隆景が建立。建坪十二坪にたいして、
八十三坪あまりの屋根を有している。
「敵国降伏」の扁額を掲げていることから
「伏敵門」とも呼ばれる。
本殿・拝殿(国指定重要文化財)
天文15年(1546)大内義隆が建立。
(楼門から先は立ち入り禁止のため、
楼門から撮影)
回廊の一部
高灯籠
大鳥居 大鳥居額束
狛犬(吽形) 狛犬(阿形)
パワースポット・湧出石(わきいでいし)
招福・開運
ここの石に触れると運が湧き出るといわる
東末社 西末社
ご祭神 ご祭神
池島殿 手足の守り神 龍王社 海・空の守り神
武内社 不老長寿・健康の神 若宮殿 芸能文化の守り神
乙子宮 子育ての神 仲哀殿 家族の守り神
住吉殿 海上交通の守り神 厳島殿 旅行安全の神
稲荷社 商売繁盛・田畑の守り神 民潤社 火除の守り神
神事
玉せせり
正月3日の神事。
陰陽木製の二個の玉を御湯で洗い、
三合三勺の種油をそそいで清め、
締め込み姿の氏子が競り合い、玉を
戴くと悪事災難からのがれ幸運を授か
ると云われる。
放生会
9月12日から18日まで行なわれる。
博多どんたく、博多山笠と並び福岡市の
三大祭りの一つ。
放生会は「全ての生命あるものを滋
しみ、秋の実りに感謝する」お祭り。
起源は「合戦の間多く殺傷す、宜しく
放生会を修すべし」とのご神託によって
始まったと伝えられる。
一年おきに御神幸が行われ、期間中は
参道一帯に露天が立ち並ぶ。
参考図書
海鳥社 アクロス福岡文化誌6 福岡県の神社
福岡県 編 文化百選 歴史散歩編
河出書房新社 西日本新聞社 各駅停車歴史散歩福岡県
新人物往来社 日本「神社」総覧
葦書房 福岡を歩く