福岡藩が生んだ幕末の勤皇志士を祀る
平 野 神 社
鎮座地 福岡市中央区今川1丁目7-4
ご祭神 平野二郎國臣大人命
うしのみこと
平野國臣は福岡藩が生んだ幕末の勤皇志士です。
鳥居より拝殿を望む 額束
平野國臣は1828年(文政11年)に福岡市地行下町、
現在の今川1丁目に生まれました。
神社入口に建つ石柱 神社境内の石柱
1845年(弘化2年)18歳で福岡藩に仕官。同年6月
の台風で破損した大宰府天満宮の楼門の修理に普請
方手附(土木営繕)としてあたる。
1851年(嘉永4年)24歳のとき、宗像大社沖津宮の
普請方として赴任。
神社説明板
1858年(安政5年)幕末動乱の世を案じ、「幕府滅亡・
日本統一」の自論を伝播するため脱藩し行脚をはじめる。
薩摩では倒幕論を受け入れられず、その時の悲哀を詠
った。
我が胸の 燃ゆる思ひに くらぶれば
烟はうすし 櫻島山
歌碑
1863年(文久3年)但馬生野で倒幕の挙兵するも失敗。
1864年(元治元年)7月20日惨殺。
辞世の句
憂国十年 東走西馳
成敗在天 魂魄帰地
京都霊山歴史館 壁面
同囚の村井政禮のメモ。
「・・・既にして刑壇に声あり、動静ただならず、はるかに
平野國臣の絶命の歌を朗吟する声を聞く・・・」
朗吟一過、刀声したがって断頭、の響きあり・・・。
壮大な大志はここに潰えた。享年37歳。
(参考資料 ; 平野神社発行 平野二郎國臣)
拝殿
今生天皇生誕記念に 追慕碑の裏面
建立された碑 金子堅太郎撰の説明
福岡市西公園の銅像
1964年(昭和39年)
平野國臣百年祭に再建された