英 彦 山 神 宮
参道入口から下宮までを掲載しました。
英彦山中腹の中宮と中岳(山頂は北岳・
中岳・南岳の三峰に分かれている)の上宮
は今回参拝しませんでした。
鎮座地 福岡県田川郡添田町英彦山
英彦山と書いて「ひこさん」と呼び、福岡・大分の
県境にそびえ、標高1200メートルの福岡県で最
高峰の霊山。
JR日田彦山線 「彦山駅」下車。町バス「彦山神宮
下」下車。徒歩20分。
(北岳) (中岳) (南岳)
古図
明治31年11月作成
福岡県名所図録図絵
御祭神 天忍穂耳命(あめのおしほみのみこと)
伊邪那岐命
伊邪那美命
天忍穂耳命は天照大神の御子で天孫降臨の主役
ニニギ尊の父親。「穂」の文字には一杯に実った大
きな稲穂を たたえる気持ちが込められている。
実るほど頭をたれる稲穂かな
ご朱印
御由緒 英彦山は古来「日の子の山」即ち「日子山」
と呼ばれていましたが、嵯峨天皇の弘仁十
年(819)「日子」が「彦」に改められ、霊元
法皇から享保十四年(1729)に尊称の「英」
の一字を受け「英彦山」と改称されました。
かっては神仏習合で英彦山権現とよばれ、
十谷、四十九窟、三千八百の坊住を有する
修験道の一大霊域でした。又小伊勢と称え
られ半参宮と呼ばれて隆盛を極めました。
明治維新の神仏分離令により英彦山神社と
なり、昭和五十年に 英彦山神宮 に昇格しま
した。
奉幣殿
国の重要文化財
朱塗りの色が周囲の杉の緑にはえる
荘厳な建物です。
修験道時代の霊仙寺の大講堂で、現在
の建物は元和二年(1616)小倉藩主細
川忠興 により再建されたもの。
銅(かね)の鳥居
奉幣殿より約1キロ下の参道入口に立っ
ている。高さ七m、柱の周囲三mの青銅
製の鳥居。
寛永十四年(1637)に佐賀藩主鍋島
勝茂から寄進された。
国の重要文化財
銅の鳥居の額束
享保十九年(1734)霊元法王の
勅命を受けてかけられた。
若き鎮西上人像 点内護法神(てんないごほうじん)
出羽三山、熊野三山とならぶ鎮西 参拝人に心構えの悪いものはいない
修験道の一つに数えられた。 か参道の入口でチェックする神で仏
名は妙見菩薩といわれる。
英彦山修験道本山 霊泉寺
自然石を積んだ石畳の参道
鎌倉時代は僧坊3800といわれるほど
栄え石畳の両側には多くの僧房跡が
点在する。
【奉幣殿境内】
手水舎 社務所
梵鐘
室町時代初期(十四世紀)の鋳造で
肥前型。神仏習合時代の貴重な遺品
で、12月31日には除夜の鐘の祭典
がおこなわれている。
福岡県指定有形文化財(工芸)
天之水分神(あめのみくまりのかみ)
(竜神)
流水を疎通、分配を掌る神。
修験行者が入峰(にゅうふ)する時に
必ず水筒に入れ飲用として、またお
守りとしていただいた。
【下 宮】
下宮入口鳥居
下宮拝殿 下宮拝殿内部
下宮本殿
下宮より奉幣殿を望む
【名 所】
招魂社 伽藍さま
近くの人々の祭り仏として祀られ
勤皇義僧の墓所で、田川護国 その信仰は今も引き継がれている。
神社の奥宮として、十一柱が祀 大日如来を中心に勢志、観音の両
られている。 菩薩が祀ってある。
雪舟庭園(旧亀石坊庭園)
雪舟禅師が文明八年(1476)
に作った庭。
修験道館(宝物館)
指定文化財を含む多くの修験道
遺品が展示されている。