赤間
須 賀 神 社
鎮座地 宗像市赤間6丁目4
ご祭神 素盞鳴尊
事代主命
菅原道真
御由緒
唐津街道 赤間宿の手前右にあります。
祭神素盞鳴尊は、初め筑前の国赤馬(間)の庄郡林(現在の石丸区)
七社神社の境内神社として祀られていましたが、永禄9年に赤馬(間)の
里の鬼門除け守護神として現在地に還座祀られました。
『福岡県神社誌』
由緒 不詳。昭和3年11月村村に列せらる。宇古町恵比寿神社本社へ
合併。社説にいわく。古七社宮の境内に祭られしを永禄9年現在社地に移
し祀らる。赤間区鬼門除けの故。それより神徳彌々(いよいよ)顕はれ、俗
に赤間祇園宮と称し地方民の尊崇厚し。
境内神社
大神社(豊受大神)
恵比寿神社(事代主神)
菅原神社(菅原道真)
水神社(美津波龍女神)
貴船神社(高龗神)
猿田彦神社
唐津街道沿いの鳥居

一の鳥居
柱に「日露戦役記念・明治37,8年」
と刻まれている

額束

二の鳥居
額束に「祇園社」と書かれている

狛犬(吽形)

狛犬(阿形)

旅順開港記念樹
三の鳥居から拝殿を望む

拝殿
本殿側面
菅原神社
豊受大神
恵比須神社

石祀
石祀
境内入口にある「節婦阿政(おまさ)」の碑
お政は父の遺言で貧しい本家の息子と
許婚の約束したが、婚礼を挙げることが
出来なかった。この時、大庄屋との縁談
が持ちあがったが「父の遺言に背くのは
親不孝であり、本家を見捨てるのは貞節
でない」と断っていたが、逃げることかなわ
ず、婚礼の夜自害した。
享和元年(1801年)お政18歳。
鎮座地 宗像市赤間6丁目4
ご祭神 素盞鳴尊
事代主命
菅原道真
御由緒
唐津街道 赤間宿の手前右にあります。
祭神素盞鳴尊は、初め筑前の国赤馬(間)の庄郡林(現在の石丸区)
七社神社の境内神社として祀られていましたが、永禄9年に赤馬(間)の
里の鬼門除け守護神として現在地に還座祀られました。
『福岡県神社誌』
由緒 不詳。昭和3年11月村村に列せらる。宇古町恵比寿神社本社へ
合併。社説にいわく。古七社宮の境内に祭られしを永禄9年現在社地に移
し祀らる。赤間区鬼門除けの故。それより神徳彌々(いよいよ)顕はれ、俗
に赤間祇園宮と称し地方民の尊崇厚し。
境内神社
大神社(豊受大神)
恵比寿神社(事代主神)
菅原神社(菅原道真)
水神社(美津波龍女神)
貴船神社(高龗神)
猿田彦神社

唐津街道沿いの鳥居

一の鳥居
柱に「日露戦役記念・明治37,8年」
と刻まれている

額束

二の鳥居
額束に「祇園社」と書かれている

狛犬(吽形)

狛犬(阿形)


旅順開港記念樹

三の鳥居から拝殿を望む

拝殿

本殿側面

菅原神社

豊受大神

恵比須神社

石祀

石祀


境内入口にある「節婦阿政(おまさ)」の碑
お政は父の遺言で貧しい本家の息子と
許婚の約束したが、婚礼を挙げることが
出来なかった。この時、大庄屋との縁談
が持ちあがったが「父の遺言に背くのは
親不孝であり、本家を見捨てるのは貞節
でない」と断っていたが、逃げることかなわ
ず、婚礼の夜自害した。
享和元年(1801年)お政18歳。