九州の伊勢
伊野天照皇大神宮
鎮座地 福岡県糟屋郡久山町大字猪野604
御祭神 天照大神 (あまてらすおうみかみ)
手刀裕神 (てじからおのかみ)
萬幡千々姫命(よろずはたちじひめのみこと)
合 祀 「水取宮」祭神
五霊大明神
住吉三神
志賀三神
御由緒
足利時代に伊勢皇太神宮に模して建てられたといわれています。
慶長年間(1661)黒田氏福岡に入封後、代々藩主宗敬厚く、二代藩主忠之は、神主、工匠を伊勢に派遣して伊勢神宮の工法を学ばせ、その秘法を授かりました。後に六代藩主継高の時、1683年に此の地に社殿が移築されました。
斯くて伊勢の例にならい、20年毎に式年還宮を行なうこととなり、昭和62年に、茅葺白木造りから現在の銅板葺に建てかえられました。
社前の清流は「五十鈴川」といい、五十鈴橋がかけられています。
江戸時代は霊地でかつ景勝の地であったことから、博多の人々は、揃っての伊野参りを年一回の行事としていたと伝えられています。
筑前国続風土記
伊野皇大神宮は民家の東北高き所にあり。うしろに青山高くそびえ、前に緑水清く流る。・・・世に又類すくなき霊地なり。山花紅葉、鹿なき、猿さけび、蛍多く、魚あそぶ・・・・。
糟屋郡伊野邑天照大神宮縁起(貝原益軒1691年草)
足利時代の末頃、当時都にあって代々大神に仕えていた豊丹生(ぶにゅう)佐渡守が、故あって都を落ち英彦山の麓に赴くことになった。その時大神のお告げにより神体を捧げて豊前に来、奉祀を続けたが、死後はその子兵庫太夫信宗が志を継いだ。
ある時大神のお告げに「汝我をつれて筑前の国糟屋郡(ごおり)伊野という所に移るべし」とあった。兵庫太夫はその教えに従い、神体を捧持して伊野に行き、お宮を建てて奉仕することとなった・・・・・。
※ 豊丹生家の末裔が今も当神社を守っている(筆者記)
頭山満奉献の掲額「雲従龍」
拝殿正面に掲げてある。
易経の文言にあって、聖徳の輝くところ多くの賢人がそれを慕って集まる意で、伊野皇大神宮(龍)の御神徳を崇敬する人々(雲)が多数で集まり、ご加護を得て平和に繁栄することを表した。
主な祭礼日
1月 1日 歳旦祭
2月11日 祈年祭
4月下旬の日曜日 春季大祭
奉納武道大会
11月23日 新嘗祭