全国の住吉神社の元宮
現人神社(あらひとじんじゃ)
鎮座地 福岡県筑紫郡那珂川町仲(ちゅう)434
御祭神 住吉三柱之大神
底筒男命(そこつつをのみこと)
中筒男命(なかつつをのみこと)
表筒男命(うわつつをのみこと)
神功皇后
級長津彦大神(しなつひこのかみ、風の神)
安徳天皇
境内神社
薬祖神社・六一神社・地禄神社
御由緒
主祭神である住吉三柱之大神は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉の国で受けた穢を祓うため禊をおこなった時誕生した神と云われています。この住吉三柱の大神を祭祀した最も古い神社です。
これら三神は、三貴子(みはしらのうずのみこ)天照大御神、月読命、須佐之男命に先立って生まれた神で「祓の神」の神格を持っています。
仲哀天皇の御世(約1800年前)神功皇后三韓遠征の際、荒狂海原で苦難する軍船の舳先にこの三神が御影を現し、皇后の身を守り、玄海の波風を鎮め、船の水先案内も務めたと伝えられています。
三韓遠征から帰還した神功皇后はこれに感謝し、神様が現世(うつしよ)に姿を現したことからこの三神を「現人神」と呼ぶようになりました。
皇后大和への帰還の際、眞住吉之国(ますみのえのくに=住みよい国)と仰がれた摂津(大阪)の地にお祀りされたことから、三神たる現人神は住吉三神と称されるようになりました。
そして、三神は博多の住吉神社へ分霊されました。
鳥居
高さ5.15m、柱の幅が4.2mある鳥居は、正徳4年(1714年)初夏に建てられ、年号の刻まれている鳥居では那珂川町の中でもっとも古く町の文化財に指定されている。
現在鳥居の中央についている「現人神社」の額は、明治のはじめ廃仏思想の風潮がさかんなとき、付け替えられたもので、もともと付いていた「現人大明神」と書かれた額は拝殿横に保存されている。
『天下るあら人神のあひおひを おもえばひさしすみよしの橋』
主な祭礼日
7月31日 夏越祭(なごしさい)
輪越(わごし)
蒼く鋭い茅の葉を束ね大きな輪にした「茅の輪(ちのわ)」を鳥居に備え付け、その輪
をくぐり越えて罪穢を除く神事。
茅を抜き取り、玄関口に取り付け、魔除とする風習がある。
大祓
人の形をした紙に、自分の名前や年齢を書き、それを体にこすり付け息を吹きかけたあと燃やし、罪や穢れを祓う、
10月第3日曜日 秋祭
流鏑馬・奉納相撲
境内には「如意輪観音菩薩像」が安置された那珂川町四国第78番札所の祠があります。