沖濱稲荷神社

鎮座地 福岡市博多区古門戸町3ー8

地下鉄「中洲川端」駅から浜側に歩いて5分。

御祭神 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

      別称…稲荷神(いなりのかみ)

御由緒(神社境内由緒板)

当社は太平洋戦争中の昭和20年6月19日の空襲により、戦災を受けるまでは、光照寿院(弘法大師堂)と共存し、広く博多地区の信仰をあつめていた。古来の伝承によれば、この付近の海岸、沖の浜に、大同元年(806)唐より帰朝の第一歩を印した弘法大師(空海)が、船旅の疲れを癒すため、しばしまどろんだ処とされている。

その節の夢の中で、雲に乗った稲荷大明神が現れ、お告げがあり「高野山に弘道の本拠を開くべし」とのことである。爾来当町で境内に「大師衣掛けの松」とて、代々松の木を守ってきた。

筑前風土記によると、安永6年(1777)5月2日、町内富山屋仁蔵という酒屋の大樽に星石が落ちたことを報じている。恐らく隕石のことであろう。その石は宝珠石と称し、沖濱神社のご神体として、のちのち信奉されるようになった。後世、20年毎の式年行事に際しても、白布に包まれた宝珠石は、人の目に触れれば、忽ち盲目になると戒められていた。しかし今日では戦災後行方は不明である。

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境内全景

境内全景

神社正面

神社正面

鳥居額束

鳥居額束

境内に飾られている石の額束

境内に飾られている石の額束

拝殿

拝殿

戦没地蔵

戦没地蔵

川上音二郎記念碑

参道入り口の川上音二郎記念碑

川上音二郎案内板

川上音二郎案内板

川上音二郎(案内板)

博多の商家に生まれた川上音二郎(1864ー1911)は、当時の政治や世相を風刺した「オッペケぺー節」で売り出し、書生芝居で人気を博しました。創作をつづけるかたわら海外でも演じるなど、新派劇の創始者として、妻貞奴とともに日本の近代演劇史上に大きな功績を残しました。明治33年(1990)パリ万国博覧会で脚光を浴びた音二郎一座は録音盤を製作し、これが日本人による初のレコード録音と言われています。

花柳章太郎氏寄贈の樹

花柳章太郎氏寄贈の樹

 

水谷八重子・波乃久里子氏寄贈の樹

水谷八重子・波乃久里子氏寄贈の樹

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