人丸神社

源平合戦の哀史にまつわる神社

鎮座地

福岡県糟屋郡新宮町下府しものふ JR鹿児島本線「福工大前」下車徒歩南東へ約800m

一の鳥居

一の鳥居

御祭神

  • 人丸姫

ご由緒

平景清の妻は、子を授かるように日夜神に祈願されましたが、治承2年(1178)3月15日、朝日(旭)が上るとき懐妊を覚え女の子を出産しました。「旭」は「日」「丸」と書くことから、「人丸」と名づけたと言われています。

平家は壇ノ浦の戦いで源氏に敗れ、景清は源頼朝暗殺を計画するも、事前に発覚し捕われ両目をつぶされて日向の国に流され、この地で亡くなりました。 人丸姫は幼くして母と死別し、京都北嵯峨で叔父に育てられました。

13歳の時、父景清に会いたい一心から乳母と共に京を旅立ち日向を目指しました。途中下府に住む父の旧友の僧を尋ねました。 しかし、長旅の疲れから病に罹り、建久3年(1192)11月9日に亡くなりました。 死ぬ間際に人丸姫は、「父に会えずに死ぬことは心残りなので、私が死んだら塚を築いて印に松を植え、日向に向かって葬ってください」と頼みました。その遺言に従い神社がある丘陵に葬りました。

※平景清:平家に仕えて戦い、都落ちに従ったため、平景清と呼ばれているが藤原景清という。「悪七兵衛」の異名を持つほど勇猛であったといわれる。源頼朝暗殺を37回も企てたことから、多くの伝説に彩られた人物で歌舞伎や謡曲のモデルにもなっている。建久6年(1195)3月7日没。

ご由緒板

ご由緒板

御神徳

幼少の頃、父を慕ってはるばる京から下府まで来て、病没の身となった姫の心情から、子供の無事成長の祈願の場となっています。

二の鳥居までの約300mの参道は桜並木でした

二の鳥居までの約300mの参道は桜並木でした

二の鳥居

二の鳥居

拝殿

拝殿

拝殿内部

拝殿内部

本殿側面

本殿側面

参拝したのが4月1日で大祭の日でしたので親子連れの参拝者を多く見受けられました

参拝したのが4月1日の大祭の日でしたので親子連れの参拝者を多く見受けられました

祭礼日

  • 1月1日   元旦祭
  • 4月1~2日 大祭
  • 4月9日    命日祭

DSC00069

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

post date*

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)