乃木神社

            乃 木 神 社
鎮座地   下関市長府宮の内町3番8号
          (サンデンバスJR長府駅前より、下関方面、
           長府鳥居前下車、徒歩5分)
御祭神   乃木希典大人之命(のぎまれすけうしのみこと)
         乃木静子刀自之命
(のぎしずことじのみこと)
 
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              乃木大将御夫婦の銅像
           
           昭和37年殉死50年祭にあたり静子婦人
           の神霊合祀を記念して建立された。
御由緒   乃木大将殉死後、誠実で純粋な人柄が追慕
       の念を高揚させ、乃木神社建立の儀が起こり
       大正八年十二月御祭神ゆかりの台湾
       (明治二十九年、四十八歳のとき、台湾総監に
       任ぜられる)の有山の檜を用いて社殿が竣工
       し、大正九年四月創建された。 
            
御朱印 
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御神徳  文武両道
      夫婦和合
      勝運招来
祭日   春祭  四月十一日
      例祭  九月十三日
 
         
 御神紋(乃木家家紋)
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乃木希典
     嘉永二年(1849年)十一月十一日生まれ。
     日露戦争の英雄であり、東郷平八郎とともに
     軍神と称えられた。
     明治十年、二十九歳のとき、西南の役に参加
     し、軍旗を奪われるという苦い経験を持ち、自身
     左足、左腕を負傷した。
     日露戦争で旅順攻略では、自ら二児を失ったが
     多くの犠牲者をだしたことに、深い自責の念を
     持ち続けた。
     明治四十年59歳の時、学習院院長となり、若き
     昭和天皇(当時祐仁親王)に勤勉と質素を教え
     大きな影響を 与えられた。
     大正元年九月十三日明治天皇大葬のとき、切腹 
     して殉死。妻静子も死をともにしている。このとき
     希典六十四歳、静子五十四歳。
     夫婦の葬儀のとき、沿道の人々は涙して霊柩車
     を見送ったという。
     時世の句
     『うつし世を 神去りましし 大君の みあとしたひて
             我はゆくなり』 
一の鳥居(神社入口)          額束 
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神社名柱                二の鳥居からの境内
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拝殿                  拝殿扁額 
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緑に覆われた本殿 
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狛犬 
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        吽形                   吽形
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                 さざれ石
               学 名  石灰質角礫岩
               岐阜県指定天然記念物
 
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               御神馬『壽(す)号』
            平成16年、日露戦争百年を迎え、名馬
            『壽号』の石像が徳山産御影石、終焉の
            地隠岐の島の自然石を用いて製作された。
 
乃木家旧邸
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        説明書板 

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 乃木大将が十歳から十六歳まで
起居した屋敷の復元。
6畳と3畳の二間、押入れと二坪の          等身大の木造坐像
土間。質素な生活をしのばせる。      製作は乃木大将の甥で明治から大正
                          のかけて活躍した彫刻家長谷川栄作。
                          父親から訓話をうけている様子。
                          向かって左 父 十郎
                          向かって右 母 静子 乃木大将(14歳)
 
教育者 乃木希典     
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 「幸を招く基は朝晩に祖先に               乃木家庭訓
   向かいて手をあわせよ」
 学習院院長として昭和天皇を初め皇族方の教育に全身全霊を打ち込んだ。
 明治の教育者杉浦重剛 「乃木大将は無二の大教育家である」
            
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      梅の井                      御神水
 生前使用していた井戸で帰郷の時      「梅の井」から汲み上げた水。
 は必ず立寄っていた。
     
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 「水師営の会見」歌碑            楽譜
  明治38年1月1日午後3時過ぎ旅順陥落。1月5日水師営で乃木
  大将とロシア司令官ステッセル中将は勝者と敗者の壁を越えて友好
  的に行なわれた。
  歌詞の一部。
        佐佐木信綱 作詞    岡野貞一 作曲
   一番 旅順開城約成りて、敵の将軍ステッセル 乃木大将と会見の
       所はいづこ水師営
   四番 昨日の敵は今日の友 語る言葉もうちとけて 
       我はたたえつかの防備 彼はたたえつ我武勇
第二次世界大戦中、女の子達はこの歌を歌いながらお手玉して遊んだ
そうです。
 
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             宝 物 館 
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               御神木
          父十郎が北風を防ぐために植えた杉六
          本のうち残った一本。
 
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                二〇三高地の松
            昭和13年長府在住の畑氏がゆかりの
            記念として持ち帰った松。
               ひょうたん              
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          ひょうたんは千成瓢箪或は福部(ふくべ)
            といわれ、諸願成就、福徳倍増の縁起の
            よいものととして知られている。
            丸い形は人の心の豊かさを示し、長い形
            は気の長さを示している。また胸を紐で結
            ぶのは節度の大切さを教えたものである。
            乃木大将もひょうたんを愛用され、その大
            瓢箪が宝物館に展示されている。
                     (写真の瓢箪は別物)

 
          

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