平家塚 二位の尼の墓

          平家塚

            二 位 の 尼 の 墓
所在地  福岡県宗像市吉留
        (西鉄バス 吉富バス停下車 徒歩5分)
 この平家塚は、源平最後の決戦で壇の浦の海中に安徳天皇を抱いて
入水した「二位尼(にいにのあま)」の菩提を弔ったお墓で、今から
789年前の1223年に 平重盛の子「行実」により建立されました。
 
 二位の尼は、平清盛の正室時子。時子は滋子の姉、徳子の生母
であることから二位の称号を得、清盛の没後に出家したことから
このように呼ばれるようになりました。
 829年前1183年に木曽義仲によって、京都を追われた平家一門は
安徳天皇を奉じて大宰府に到着しましたが、間もなく豊後の緒方氏の
謀略により安徳帝一行は四国の屋島に向かうこととなりました。
 大宰府落ちについて、平家物語に次のように記されています。
「・・・落ちる涙、降る雨分けきて何れも見えざりけり。住吉、箱崎、香椎、
宗像の神々伏拝み都への還幸とのみぞ祈られける。・・・」
 以上のような悲惨な道中をようやく宗像市と遠賀郡との境垂水峠の
大聖寺に辿り着かれた。この時、行実8才。63才の二位の尼は孫、
行実の行末を案じ、行実に父母の霊を弔う事、また武家にならざる
ように諭し、随行している当時高僧と讃えられている 66才の西行法師
に育成を託しました。
 西行は行実をお寺に伴い小僧としました。
 行実は成長後、二位の尼を偲び、霊を菩提するためにこの地に墓を
建てました。
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          行実と二位の尼 別れの図
 
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               由来書
 
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             平家塚案内板
 
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                  遠景
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                平家塚内部
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                 全景
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                平家塚建物入口
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                内部 (一部)
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                内部(一部)

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