志賀海神社

志賀海神社

福岡市東区志賀島877

電話 (092)603-6501

  アクセス  ・JR九州 香椎線西戸崎駅より

         西鉄バスで「志賀島」下車


        

御祭神

 左殿 仲津綿津見神(ナカツワタツミノカミ) 

中殿 底津綿津見神(ソコツワタツミノカミ)

右殿 表津綿津見神(ウハツワタツミノカミ) 

御由緒

 全国の綿津見神社「海神(わたつみ)」の総本宮である。

 代々、航海や漁業に従事した海人(あま)の部族を率いている筑紫地方の海の豪族、阿曇族が祭祀をおこなってきた。

 この阿曇族は、志賀島を一大拠点とし、国内・大陸との交易を広く行い、その交易の足跡は対馬、兵庫、長野県安曇野市穂高、石川県志賀町、滋賀県安曇川、愛知県渥美半島など、「しか」「あつみ」と称した地名に多く見られる。

 

 古来より、海上交通の要所である玄界灘を臨む博多港の入口の志賀島に鎮座し、「海神の総本社」「龍の都」と称せられ海の守護神として篤く信仰される。

 

 また、創建は明らかでないが、およそ1800年前、志賀島は、神功皇后が三韓に出かけた際に立ち寄られたという伝説が残っている。

 

祭神の綿津見三神は、記紀神話の男神で伊邪那岐命が黄泉の国から戻り、禊祓(みそぎはらえ)をした折に住吉三神とともに化生したと伝えられ、海の底、中、表を守る海の主宰神として海上交通の安全をはじめ塩・魚介類といった海産物の恩恵をもたらす神と篤く信仰された。

 

『古事記』では「この三神は阿曇連等(あずみのむらじら)が祖神(おやがみ)と以ち伊都久神なり。阿曇連等は、その綿津見の神の子の子孫なり」とある。

 

『三代実録』では貞観元年(859年)従五位上、『延喜式』には明神大社に列せられ、神仏習合の御世では金剛山吉祥寺と称せられた。

 

 中世、元寇の役など国家非常に際し、赫々たる御神意を顕し、尊崇も深厚を極めたものの、兵乱の世に衰微したが、豊臣秀吉や大内義隆、小早川隆景、小早川秀秋、黒田長政等の寄進もあり、今から約350年前に現在の社殿が再興された。日本海海戦でも御神意を顕し、大正15年に官幣小社に昇格した。

 

ちはやぶる 鐘の岬を過ぎぬとも

 我は忘れじ志賀の皇神(すめかみ)

          (万葉集)

名にし負ふ 龍の都のあととめて

 波をわけゆく 海の中道

          (細川幽斎)

 

志賀島内には、後漢の光武帝が「倭奴国」に与えたとされる『金印』が発見された金印公園や蒙古塚もある。

 

御神徳

  海上守護、交通安全、災厄祓除、

  病気平癒、健康長寿、家内安全

  子供守護 

 

祭 典

 例大祭

 国土祭  毎年十月第二月曜日

 御神幸祭 隔年国土祭前日

         (無形文化財)

特殊神事

歩 射 祭  1月15日近くの日曜日

山誉(種蒔)漁猟祭4月、11月の15日

        (いづれも無形文化財)

 

御神宝

 鹿ノ角(1万本以上

 高麗鍍金鐘(重要文化財)

 宝筐印塔(県指定文化財)

 細形銅剣鎔范(県指定文化財) o:p>

            ほか
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